ご無沙汰です。
占星術師ユニット太陽と月の魔女として活躍していらっしゃる
小泉茉莉花さんと、マリィ・プリマヴェラさんが
沖縄で、魔女のお茶会を開催します!
STELLAがお手伝いをさせていただきますので
どうぞ、皆様お越しくださいね。
STELLA
小泉茉莉花さんと、マリィ・プリマヴェラさんが
沖縄で、魔女のお茶会を開催します!
STELLAがお手伝いをさせていただきますので
どうぞ、皆様お越しくださいね。
STELLA
2012年03月22日 10:09
『テンペスト』作者公認、沖縄 体感ツアーに参加して来ました。
1月21日、TI-DAさんが募集していた、首里城を巡る、
小説『テンペスト』沖縄体感ツアーに参加して参りました。
私が参加したのは、
☆池上永一氏公認!小説『テンペスト』沖縄体感ツアー(1)
「龍の住む城 首里城」ガイド付き街歩きプラン
当日はあいにくの雨模様でしたが、
龍は雨や水と縁があるので、
まさしく、ぴったりのお天気だったといえましょう。
車が無い私は、首里駅から徒歩。
30分前には駅に着いたけれど
近道と書かれた狭い坂道を通って
集合場所を目指したつもりが
迷いに迷って、何とか集合場所にたどりついたのが
ぎりぎりの時間でした。
首里城は今回2度目なので、
まだまだ初心者?の私。
どんなガイドなのか、とっても楽しみにしておりました。
実は、今回のツアーの前にテンペスト全編を読んでいなくて、
ツアー前に、本屋さんで、ちょろりと予習しただけだったのです。
なので、本の中に出てくることは、あまりわかりません。
ガイドさんが、教えてくれることに、うんうんと、
まるで知っているかのように、うなづきつつ
(ごめんなさい。知りません。)と、心でつぶやいておりました。
しかし、本を読んでいなくても、
ガイドさんのお話しは、とても興味深く、面白かったのでした。
そして、たまたま、その前の週に放映されていた
不思議発見を見ていた事で、首里城を見る事がとても楽しみだったのです。
こちらが、不思議発見でも出ていた、
城壁の返し。(悪いものをはね返すためにつんとした形に
なっていると、TVでは言っておりましたが、諸説あるそうです。)
まず、集合場所である、綾門大道(あやじょううふみち)が
すでに、テンペストの舞台として、登場していることから説明が始まりました。
ガイドの方は、雨の中、傘もささずに熱心にお話しをして下さいます。
そして、そこからすぐにある、
守礼門(しゅれいのもん)も
驚くエピソードがあるのですね。
守礼門が、そう呼ばれているのは、
門の上にある看板?に
守禮之邦と書かれているからなのですが、
これ、いつもこの看板がかかっていたわけではないそうです。
禮(礼)を守る良い人々が住むところ。
という意味ではなく、中国の使者が来るときに
この看板をかけていたのだそうで、
中国に対して、礼を守っていますよ。
という意味なのだそう。
(普段別の看板をかけていたんだとか。)
そして、坂をどんどん登り
瑞泉門の右下にある、龍樋へ。
龍の口から湧き出る水を
瑞泉と言っていたそうで、
王族と、中国から訪れる冊封使のみが
この水を飲むことができたそうなのです。
(冊封使は天使館に、滞在しており
朝夕にこの水を届けたそうです。
天使館は、東町にあり、
首里城からはかなり距離がありますので
毎日朝夕に水を届けるのは、大変だったのでしょうね。
龍の口は、戦争時少し破損したそうですが、
修復されて、今も変わらずきれいなお水が流れています。
(しかし今も飲用に適しているかは不明ですが、、
それとは別に、このきれいな泉にお金を投げ込んでいる人がいますが、
ここは、トレビの泉でも、銭洗い弁天でもないので
お金を投げいれるのはやめて欲しいと思うのは私だけでしょうか?)
そして、いよいよ、首里城内へ、、、と
その前に、京の内へと、足をすすめました。
京の内は、首里城発祥の地ともいわれているそうなのです。
元々、首里城が、王様がお住みになる場所というより、
城(ぐすく)として、存在していたのだとしたら、
この地が、聖地として存在していたというのは、納得です。
京の内では、琉球独自の信仰の最高位に
位置する聞得大君(きこえおおきみ)や
大アムシラレといった神女(しんじょ)たちが、
国の(王家の)繁栄や、
航海安全、五穀豊穣(ごこくほうじょう)等を神に祈っていたそうです。
実際に足を踏み入れると、
京の内は、首里城の聖地だと、本当に感じられます。
雨の中で、ひときわ空気が濃密で、
静かで、深く、しんとして、美しいのです。
私の大好きなパワースポット、垣内樋川とも似た
空気が澄んでいる場所なんですよね。
パワー不足の時は、ここに来れば、良いな~と思いました。
そこ、京の内の奥の方にある
西のアザナは、遠くまで見渡せる、
とても見晴らしの良い場所です。
流れる雲が、龍のエネルギーのようではありませんか?
その後、いよいよ、首里城内へ。
と、ココらへんで、実は、デジカメのメモリが無くなってしまい、
写真が撮れなくなってしまいました。がっくり。
その後は、首里城内と、龍潭、弁天堂、等をめぐりました。
ガイドさんのお話しは面白く、またこちらの
質問も丁寧に答えてくださり、大変ユニークで楽しくて、
3時間はあっという間でした。
(が日ごろの運動不足から、ちょっと腰に来ました。
そして、次の日、筋肉痛が、、、汗)
TI-DAのスタッフさんから、資料としてツアー終了後に
「テンペスト」を頂戴しまして、解散後に、
お昼ごはんにと入ったお店で、早速読みました。
いや~、面白いですね。
次から次へと、読み進みたくなる。
かなり厚い本だけれど、
スピード感があるので
一気に読みすすめたくなります。
(美内すずえさんの漫画のようだ、、、。)
首里城リピーターさんなら、
本を読まなくても楽しいツアーですし、
テンペストを読んだあとに行けば、
30倍?は楽しめると思いました。
この首里城内のツアーって、1000円なんですね。
2月~3月はさらに200円引きだそう。
今までと首里城が違って見える、このツアー
県外からいらっしゃるお友達と一緒に楽しんでみるのも良いかもしれません。
小説『テンペスト』沖縄体感ツアーに参加して参りました。
私が参加したのは、
☆池上永一氏公認!小説『テンペスト』沖縄体感ツアー(1)
「龍の住む城 首里城」ガイド付き街歩きプラン
当日はあいにくの雨模様でしたが、
龍は雨や水と縁があるので、
まさしく、ぴったりのお天気だったといえましょう。
車が無い私は、首里駅から徒歩。
30分前には駅に着いたけれど
近道と書かれた狭い坂道を通って
集合場所を目指したつもりが
迷いに迷って、何とか集合場所にたどりついたのが
ぎりぎりの時間でした。
首里城は今回2度目なので、
まだまだ初心者?の私。
どんなガイドなのか、とっても楽しみにしておりました。
実は、今回のツアーの前にテンペスト全編を読んでいなくて、
ツアー前に、本屋さんで、ちょろりと予習しただけだったのです。
なので、本の中に出てくることは、あまりわかりません。
ガイドさんが、教えてくれることに、うんうんと、
まるで知っているかのように、うなづきつつ
(ごめんなさい。知りません。)と、心でつぶやいておりました。
しかし、本を読んでいなくても、
ガイドさんのお話しは、とても興味深く、面白かったのでした。
そして、たまたま、その前の週に放映されていた
不思議発見を見ていた事で、首里城を見る事がとても楽しみだったのです。
こちらが、不思議発見でも出ていた、
城壁の返し。(悪いものをはね返すためにつんとした形に
なっていると、TVでは言っておりましたが、諸説あるそうです。)
まず、集合場所である、綾門大道(あやじょううふみち)が
すでに、テンペストの舞台として、登場していることから説明が始まりました。
ガイドの方は、雨の中、傘もささずに熱心にお話しをして下さいます。
そして、そこからすぐにある、
守礼門(しゅれいのもん)も
驚くエピソードがあるのですね。
守礼門が、そう呼ばれているのは、
門の上にある看板?に
守禮之邦と書かれているからなのですが、
これ、いつもこの看板がかかっていたわけではないそうです。
禮(礼)を守る良い人々が住むところ。
という意味ではなく、中国の使者が来るときに
この看板をかけていたのだそうで、
中国に対して、礼を守っていますよ。
という意味なのだそう。
(普段別の看板をかけていたんだとか。)
そして、坂をどんどん登り
瑞泉門の右下にある、龍樋へ。
龍の口から湧き出る水を
瑞泉と言っていたそうで、
王族と、中国から訪れる冊封使のみが
この水を飲むことができたそうなのです。
(冊封使は天使館に、滞在しており
朝夕にこの水を届けたそうです。
天使館は、東町にあり、
首里城からはかなり距離がありますので
毎日朝夕に水を届けるのは、大変だったのでしょうね。
龍の口は、戦争時少し破損したそうですが、
修復されて、今も変わらずきれいなお水が流れています。
(しかし今も飲用に適しているかは不明ですが、、
それとは別に、このきれいな泉にお金を投げ込んでいる人がいますが、
ここは、トレビの泉でも、銭洗い弁天でもないので
お金を投げいれるのはやめて欲しいと思うのは私だけでしょうか?)
そして、いよいよ、首里城内へ、、、と
その前に、京の内へと、足をすすめました。
京の内は、首里城発祥の地ともいわれているそうなのです。
元々、首里城が、王様がお住みになる場所というより、
城(ぐすく)として、存在していたのだとしたら、
この地が、聖地として存在していたというのは、納得です。
京の内では、琉球独自の信仰の最高位に
位置する聞得大君(きこえおおきみ)や
大アムシラレといった神女(しんじょ)たちが、
国の(王家の)繁栄や、
航海安全、五穀豊穣(ごこくほうじょう)等を神に祈っていたそうです。
実際に足を踏み入れると、
京の内は、首里城の聖地だと、本当に感じられます。
雨の中で、ひときわ空気が濃密で、
静かで、深く、しんとして、美しいのです。
私の大好きなパワースポット、垣内樋川とも似た
空気が澄んでいる場所なんですよね。
パワー不足の時は、ここに来れば、良いな~と思いました。
そこ、京の内の奥の方にある
西のアザナは、遠くまで見渡せる、
とても見晴らしの良い場所です。
流れる雲が、龍のエネルギーのようではありませんか?
その後、いよいよ、首里城内へ。
と、ココらへんで、実は、デジカメのメモリが無くなってしまい、
写真が撮れなくなってしまいました。がっくり。
その後は、首里城内と、龍潭、弁天堂、等をめぐりました。
ガイドさんのお話しは面白く、またこちらの
質問も丁寧に答えてくださり、大変ユニークで楽しくて、
3時間はあっという間でした。
(が日ごろの運動不足から、ちょっと腰に来ました。
そして、次の日、筋肉痛が、、、汗)
TI-DAのスタッフさんから、資料としてツアー終了後に
「テンペスト」を頂戴しまして、解散後に、
お昼ごはんにと入ったお店で、早速読みました。
いや~、面白いですね。
次から次へと、読み進みたくなる。
かなり厚い本だけれど、
スピード感があるので
一気に読みすすめたくなります。
(美内すずえさんの漫画のようだ、、、。)
首里城リピーターさんなら、
本を読まなくても楽しいツアーですし、
テンペストを読んだあとに行けば、
30倍?は楽しめると思いました。
この首里城内のツアーって、1000円なんですね。
2月~3月はさらに200円引きだそう。
今までと首里城が違って見える、このツアー
県外からいらっしゃるお友達と一緒に楽しんでみるのも良いかもしれません。
2011年01月27日 00:03
人生は決まっているのか、いないのか。
人生は自分で作るもの。
思考は実現化する。
と、言う人と
人生は、決まっているのだから、
諦めて、委ねたほうが幸せになれる。
と、言う人がいる。
どちらが正しいのか、ではなく
実は、究極的には、どちらも同じ事を
違う側面から言っているような気がする。
私たちは、未来を知ることができない。
明日がどうなるかすら、わからないし、
100%予定通りになるように生きることが
楽しく幸せとは限らない。
少しだけ脱線するが、
諦めるというのは、
明らかに極める
が語源だそうで、
やるだけの事をやり、
天に身を任すという事だと思う。
また委ねる(または、降伏する。)
という、事も、人事(じんじ)を尽くして天命を待つ
すべて、できる事は自分に嘘をつかずやりつくし、
自分をコントロールしない。
という意味だと解釈している。
実は、人は、
瞬間、瞬間、その時なりに、
一杯一杯で、生きていると思う。
その環境、文化、状況で
考えうる、その人の精一杯で選択しているはずなのだ。
数年経って、あの時、なぜあの選択をしたか
悔やむ事はある。
が、その時は、それ以外の選択が出来なかったのだ。
それがその時の自分のあり様での最善だったのだ。
と、思う。
もし、違う選択をしたならば。
と、今悔やんでも、しょうがないのだ。
その時に思いを馳せ
反芻したとしても
現実は変わらない。
今、この時に、この瞬間に
最善の自分にいつも嘘をつかず
選びとる事を、やる続けるしかない。
自分の深いところに聞き
何が起きても自分が選択したことだと
責任を取る覚悟をし、
自分の精一杯で行うことが
悔いにならない選択だ。
人がなんと言うかは、問題ではない。
かっこ悪かろうが、
常識から外れようが、
良いのだ。
その代わり、起きてくる全部を
自分で責任をとると決める。
それだけで、自分の人生が生き生きと輝いていく。
私というツールを精一杯使うこと、
自分の心の底にあるものに正直になること。
何が心を震わすのか、
ワクワクするのか、
どんな事に、アンテナが立つのか
その時、その時で、自分に問いかけていかないと
心の感度が鈍くなる。
そして、わからなくなるから、
人(とか、世間とか、マスコミとか)に
振り回される。
本当に自分がしたいことより、
人が良いと言うものにあわせる。
それをし続けると、
自分が何を選択したいのか、わからなくなる。
「自分は~~がしたいけれど、
それにはどういう道があるか、
何を特にがんばれば良いのか?」
という質問ならば、答えは見つかりやすいが、
自分が何をしたいのかわからない。
という問いは、誰か外の人が答えるのではなく
自分の心に問いかけ、
今の自分でわかる範囲で、答えが出たことを
行動に移していくしか、本当の答えを見つける方法はないと思う。
つまり、行動し続けることだ。
願いが何かわかり、行動すれば、良いのだ。
そして、現実化し、形にしていくことが、
その人の人生に決められていることともいえる。
未来はわからないけれど
未来に行く道をつけること、
到達し、変化を起こし、歩き続けることは、
振り返れば、自分で決めた人生を生きていることになるし、
人生が決まっているといえる。
私たちの前に道はなく、
歩いたあとに道ができるという詩があったが
その通りだと思う。
自分の前に、自分の人生の道はない。
後にできる。
どうやったって、
道は前にない。
不安だけれど、踏みしめて
歩いていくことで、道ができる。
人が作った道ではなく、
自分が作った道だからこそ、
堂々と自分で自信を持って
道を歩ける。
自分で感じ、答えを自らに問い、
それを、周りに振り回されずに行い続けることが
大切なのだと思う。
思考は実現化する。
と、言う人と
人生は、決まっているのだから、
諦めて、委ねたほうが幸せになれる。
と、言う人がいる。
どちらが正しいのか、ではなく
実は、究極的には、どちらも同じ事を
違う側面から言っているような気がする。
私たちは、未来を知ることができない。
明日がどうなるかすら、わからないし、
100%予定通りになるように生きることが
楽しく幸せとは限らない。
少しだけ脱線するが、
諦めるというのは、
明らかに極める
が語源だそうで、
やるだけの事をやり、
天に身を任すという事だと思う。
また委ねる(または、降伏する。)
という、事も、人事(じんじ)を尽くして天命を待つ
すべて、できる事は自分に嘘をつかずやりつくし、
自分をコントロールしない。
という意味だと解釈している。
実は、人は、
瞬間、瞬間、その時なりに、
一杯一杯で、生きていると思う。
その環境、文化、状況で
考えうる、その人の精一杯で選択しているはずなのだ。
数年経って、あの時、なぜあの選択をしたか
悔やむ事はある。
が、その時は、それ以外の選択が出来なかったのだ。
それがその時の自分のあり様での最善だったのだ。
と、思う。
もし、違う選択をしたならば。
と、今悔やんでも、しょうがないのだ。
その時に思いを馳せ
反芻したとしても
現実は変わらない。
今、この時に、この瞬間に
最善の自分にいつも嘘をつかず
選びとる事を、やる続けるしかない。
自分の深いところに聞き
何が起きても自分が選択したことだと
責任を取る覚悟をし、
自分の精一杯で行うことが
悔いにならない選択だ。
人がなんと言うかは、問題ではない。
かっこ悪かろうが、
常識から外れようが、
良いのだ。
その代わり、起きてくる全部を
自分で責任をとると決める。
それだけで、自分の人生が生き生きと輝いていく。
私というツールを精一杯使うこと、
自分の心の底にあるものに正直になること。
何が心を震わすのか、
ワクワクするのか、
どんな事に、アンテナが立つのか
その時、その時で、自分に問いかけていかないと
心の感度が鈍くなる。
そして、わからなくなるから、
人(とか、世間とか、マスコミとか)に
振り回される。
本当に自分がしたいことより、
人が良いと言うものにあわせる。
それをし続けると、
自分が何を選択したいのか、わからなくなる。
「自分は~~がしたいけれど、
それにはどういう道があるか、
何を特にがんばれば良いのか?」
という質問ならば、答えは見つかりやすいが、
自分が何をしたいのかわからない。
という問いは、誰か外の人が答えるのではなく
自分の心に問いかけ、
今の自分でわかる範囲で、答えが出たことを
行動に移していくしか、本当の答えを見つける方法はないと思う。
つまり、行動し続けることだ。
願いが何かわかり、行動すれば、良いのだ。
そして、現実化し、形にしていくことが、
その人の人生に決められていることともいえる。
未来はわからないけれど
未来に行く道をつけること、
到達し、変化を起こし、歩き続けることは、
振り返れば、自分で決めた人生を生きていることになるし、
人生が決まっているといえる。
私たちの前に道はなく、
歩いたあとに道ができるという詩があったが
その通りだと思う。
自分の前に、自分の人生の道はない。
後にできる。
どうやったって、
道は前にない。
不安だけれど、踏みしめて
歩いていくことで、道ができる。
人が作った道ではなく、
自分が作った道だからこそ、
堂々と自分で自信を持って
道を歩ける。
自分で感じ、答えを自らに問い、
それを、周りに振り回されずに行い続けることが
大切なのだと思う。
2010年07月12日 13:52
私という人間
えらそうな事を書いているけれど、
私は、本当にちっせえ人間だ。
たまたま、リーディングができるので、
過去世やら、オーラやらを見ている。
が、これは、経理ができるとか
総務でがんばってきたとかと
それほど変わりないことで、
私だけが選ばれた才能を与えられたなんてことは
これっぽっちも思っていない。
むしろ、なぜ私がこんな仕事をしているのか?
と、問うことの方が多い。
特別でない、それどころか
人より、みみっちく、せこい、弱い私だから
やらされているのかもしれない。
人は、完璧ではない。
肉体という荒い波動で成り立っているものから
感じられるものは、100%でないし、
誰もが、この世の100%を知らないのだから。
この世界に満ちる光の8%しか目から感じられないし、
耳も、しかるべし。
恐らく、この世界にある音と言われる波の数%しか
聞く事ができない。
「科学」という宗教で理解できていることより、
まだ解明されていないというか知らないことのほうが多い。
なのに、科学を盲信するのも怖いと思う。
し、完璧ではないのに、完璧であらねばと思うことも
怖い。
できなくて、当たり前。
わからなくて、当たり前。
弱くて当たり前。
自分も、人も、
強くないのだ。
私はそれを知っている。私が弱く、ずるく、小さい事を知っている。
弱さが実は愛すべきもので
赦しもそこから始まることも。
だから、私はリーディングセッションを
させられているのだと思う。
たくさんの人と会ってきた。
たぶん、普通に生活しているより
会うことのないような人生を送る人たちに。
深い、本当の所をたくさん聞いてきた。
そして、感じるのは、
人とは、恐ろしい生き物だ。
ということではなく、
すべての人は愛すべき存在である。
ということだ。
これからも、愛すべき存在であるといつでも、
どんな人にも言うことができる自分でありたいと思う。
私は、本当にちっせえ人間だ。
たまたま、リーディングができるので、
過去世やら、オーラやらを見ている。
が、これは、経理ができるとか
総務でがんばってきたとかと
それほど変わりないことで、
私だけが選ばれた才能を与えられたなんてことは
これっぽっちも思っていない。
むしろ、なぜ私がこんな仕事をしているのか?
と、問うことの方が多い。
特別でない、それどころか
人より、みみっちく、せこい、弱い私だから
やらされているのかもしれない。
人は、完璧ではない。
肉体という荒い波動で成り立っているものから
感じられるものは、100%でないし、
誰もが、この世の100%を知らないのだから。
この世界に満ちる光の8%しか目から感じられないし、
耳も、しかるべし。
恐らく、この世界にある音と言われる波の数%しか
聞く事ができない。
「科学」という宗教で理解できていることより、
まだ解明されていないというか知らないことのほうが多い。
なのに、科学を盲信するのも怖いと思う。
し、完璧ではないのに、完璧であらねばと思うことも
怖い。
できなくて、当たり前。
わからなくて、当たり前。
弱くて当たり前。
自分も、人も、
強くないのだ。
私はそれを知っている。私が弱く、ずるく、小さい事を知っている。
弱さが実は愛すべきもので
赦しもそこから始まることも。
だから、私はリーディングセッションを
させられているのだと思う。
たくさんの人と会ってきた。
たぶん、普通に生活しているより
会うことのないような人生を送る人たちに。
深い、本当の所をたくさん聞いてきた。
そして、感じるのは、
人とは、恐ろしい生き物だ。
ということではなく、
すべての人は愛すべき存在である。
ということだ。
これからも、愛すべき存在であるといつでも、
どんな人にも言うことができる自分でありたいと思う。
2010年07月10日 08:30
2012年のアセンションはあるのか?ないのか?
ここ近年、2012年にアセンション(次元上昇)があるという
話しが、持ち上がっている。
これは1999年に、ノストラダムスの大予言の
終末が話題になったのに似ていると思う。
このアセンションを乗り切るために、
あれこれと、色々な人が語る本も出ているし
映画もあった。
実際に何か起こるかどうかは別として
それをむやみに怖れたり、
恐れのために、清く正しく生きるようにがんばる
というのは、正直ばかばかしいと思う。
スピリチュアル系の人が言う
愛か怖れか(ビジョン心理学系の本などにも登場します。)
という考え方から言うと、
明らかに、今回のアセンションについての騒ぎは、「怖れ」
で、怖れから良くなろうとしているのは、違う気がするのだ。
そうではない。
人間、2012年どころか、
明日死ぬかもしれないのだから、
今、この時、自分が本当に自分に嘘をつかず、
やろうと思ったことを、魂のままにやる事だけを
精一杯やれば良いのだ。
自分の魂に照らして。
自分のやりたい事を
浅い部分で捉えてはいけない。
魂が、いっぺんの曇りもなく望むこと
にフォーカスする事が大切で、
深い、心の喜びを感じる行為は何か?
楽できることではなく
心からの幸せを感じる選択は何なのか?
を考えれば、おのずと自然に選択が決まる。
身体に良い野菜をとるのは、アセンションのためではなく、
本当にしみじみ滋味溢れるものが美味しいという事を知れば自然にそうなるだろう。
人と分かち合い、正直になるのは、
それが、本当に心から、気分が良いからで、
アセンションできなかったらどうしよう、、という思いからなのはおかしいではないか?
自分にとって本当に良いと思うことをする。
それでよいのだと思う。
もし、自分が自分に嘘をついていたら
どんなに、人や世間が良いことだと言う行いをしても
気持ちが悪いのだ。
心から、喜び、すべてを慈しむこと。
すべてには自分も当然入るわけで。
自分が怒っているのに、不自然に微笑むことも
怒っている自分を抑えて、自分が腹を立てていることに気づかないフリをするのも
本当は、やめた方が良いのだ。
で、アセンションに戻る。
私は、うさんくさいと思う。
怖れを引き出して、何かをさせようとする意図を感じる。
自分が助かるために、何かを変える。
怖れから行動を起こそうとする感じがダメ。
心がけがよくても。
言ってることがよくても。
アセンションのためではなく、
今のあなたのために
あなたや周りの世界の幸せのために
今必要な事をやれば良い。
正直になって、本当にやりたい事にフォーカスして、
自分に嘘をつかず、やりたい事をやりたいように行う。
何年か後の起こるか起こらないかわからない事を
怖れての行動ではなく。
今、この瞬間のあなたと、世界のために。
2012年の12月22日に終わるといわれる
マヤ暦もアセンションと関係しているといわれているのだが、
現代の、マヤの最高神官として
様々な活動をしている
ドン・アレハンドロ氏から
直接聞いた人の話しによると
「2012年の12月22日」の次の日も
われわれは、朝日を見るだろう。
と言っていたそう。
つまり、前の日と変わらない日々が待っているだろうと。
マヤ暦がそこで終わるといのは、終末がくるという事ではなく、
新しい、長いスパンの暦が始まるだけだという説もある。
つまり、マヤ暦も、古い暦が終わったら、それを壁から外し
新しいカレンダーをめくるようなものかも知れない。
怖れから自分を正すのではなく
今、自分にできる、自分にとっての真実を
精一杯生き切ることにフォーカスして生きていきたい。
と思う今日この頃の私だ。
話しが、持ち上がっている。
これは1999年に、ノストラダムスの大予言の
終末が話題になったのに似ていると思う。
このアセンションを乗り切るために、
あれこれと、色々な人が語る本も出ているし
映画もあった。
実際に何か起こるかどうかは別として
それをむやみに怖れたり、
恐れのために、清く正しく生きるようにがんばる
というのは、正直ばかばかしいと思う。
スピリチュアル系の人が言う
愛か怖れか(ビジョン心理学系の本などにも登場します。)
という考え方から言うと、
明らかに、今回のアセンションについての騒ぎは、「怖れ」
で、怖れから良くなろうとしているのは、違う気がするのだ。
そうではない。
人間、2012年どころか、
明日死ぬかもしれないのだから、
今、この時、自分が本当に自分に嘘をつかず、
やろうと思ったことを、魂のままにやる事だけを
精一杯やれば良いのだ。
自分の魂に照らして。
自分のやりたい事を
浅い部分で捉えてはいけない。
魂が、いっぺんの曇りもなく望むこと
にフォーカスする事が大切で、
深い、心の喜びを感じる行為は何か?
楽できることではなく
心からの幸せを感じる選択は何なのか?
を考えれば、おのずと自然に選択が決まる。
身体に良い野菜をとるのは、アセンションのためではなく、
本当にしみじみ滋味溢れるものが美味しいという事を知れば自然にそうなるだろう。
人と分かち合い、正直になるのは、
それが、本当に心から、気分が良いからで、
アセンションできなかったらどうしよう、、という思いからなのはおかしいではないか?
自分にとって本当に良いと思うことをする。
それでよいのだと思う。
もし、自分が自分に嘘をついていたら
どんなに、人や世間が良いことだと言う行いをしても
気持ちが悪いのだ。
心から、喜び、すべてを慈しむこと。
すべてには自分も当然入るわけで。
自分が怒っているのに、不自然に微笑むことも
怒っている自分を抑えて、自分が腹を立てていることに気づかないフリをするのも
本当は、やめた方が良いのだ。
で、アセンションに戻る。
私は、うさんくさいと思う。
怖れを引き出して、何かをさせようとする意図を感じる。
自分が助かるために、何かを変える。
怖れから行動を起こそうとする感じがダメ。
心がけがよくても。
言ってることがよくても。
アセンションのためではなく、
今のあなたのために
あなたや周りの世界の幸せのために
今必要な事をやれば良い。
正直になって、本当にやりたい事にフォーカスして、
自分に嘘をつかず、やりたい事をやりたいように行う。
何年か後の起こるか起こらないかわからない事を
怖れての行動ではなく。
今、この瞬間のあなたと、世界のために。
2012年の12月22日に終わるといわれる
マヤ暦もアセンションと関係しているといわれているのだが、
現代の、マヤの最高神官として
様々な活動をしている
ドン・アレハンドロ氏から
直接聞いた人の話しによると
「2012年の12月22日」の次の日も
われわれは、朝日を見るだろう。
と言っていたそう。
つまり、前の日と変わらない日々が待っているだろうと。
マヤ暦がそこで終わるといのは、終末がくるという事ではなく、
新しい、長いスパンの暦が始まるだけだという説もある。
つまり、マヤ暦も、古い暦が終わったら、それを壁から外し
新しいカレンダーをめくるようなものかも知れない。
怖れから自分を正すのではなく
今、自分にできる、自分にとっての真実を
精一杯生き切ることにフォーカスして生きていきたい。
と思う今日この頃の私だ。
2010年07月09日 08:28
フィンドホーンフラワーエッセンスとの出会い。
フラワーエッセンス自体を知ったのは、かなり前のこと。
その当時務めていた会社から歩いて10分ほどのところにある
明治屋のビルの中に、ちょっと変わった雑貨屋さんがあった。
その頃は、アロマオイルも、不思議系に属するような頃で
フラワーエッセンスは、もっともっと怪しげなものであった(ような気がする。)
小さな1壜が結構な値段の、何か不思議な心を癒す液体。
という魔法の薬のようなイメージだった。
そして、効用として書かれているもの
「自分に自信がない。」とか
「心が落ち込むとき。」とか。
どの種類も自分に必要な気がしてきて
全部欲しくなった。
しかし数本試してみたけれど
特に目立った効き目のようなものを感じられず、
いつの間にか使わなくなってしまったのだ。
(恐らく、その当時自分がわかっていなかったし
本当に、どんなエッセンスが必要なのかも
わからなかったのだと思う。)
で、エッセンスは、やはり気の持ちようのものなのだろう、、、。
などと考えてしばらく忘れていた。
その後、ちょっとスピリチュアル系のカラーコーディネートの勉強をし始め
先輩と共に、スピコンといわれる、スピリチュアル系のイベントに出た時
その場所の問題なのか?(両国にある某所。本当に問題はあるそう。)
また、イベント会場内の様々なエネルギー的な問題なのか(それも実はありました。)
自分のブースにある椅子に座ったとたんに
気分が悪くなった。
普段は余り感じないような、
ずーんと頭から重りが乗っかるような不快感。
そのうち、めまいがして、頭を上げられないくらい苦しくなった。
会場を出ると、少し楽になる。
戻って座ると辛くなる。
の繰り返し。
で、隣に座っていた、友人、礼子さんが
「これ、使ってみる?」
といって、シュワーっと
香りの良いスプレーをかけてくれた。
すると、一瞬で(スプレーなので長時間は無理だが。)
パーッと、空気が澄んだようになり、
目の前がクリアになった。
そう、ちょっと説明をすると、
カラーコーディネートのセッションを受けた方ならご存知だと思うが
カラーコーディネータのデモンストレーションでは、
お客さんに、いろんな色のついた布をかけて、その人が
どんなカテゴリに属するのかを見ていく。
特に、この場合は、ニュートラルカラーといって
余り、色味がついていな布をかけるのだが、
この色の区別がつかなくなっていたのだ。
目が見えないというより、何か判断力が全くなくなっていた感じ。
それが、そのスプレーをした時は、
ちゃんとわかる。
これは何か?
と、聞いたところが、
フィンドホーンフラワーエッセンスの
セイクレッド・スペースという
スプレータイプの浄化のエッセンスだと言う。
その日、フィンドホーンフラワーエッセンスの
セッションを行い、エッセンスを作ってくれる
セラピストとして、参加していた彼女に、
早速今の状況が楽になるエッセンスを
作ってもらった。
そして、早速飲んだところ、
本当にすっきりと、良くなったのだった。
もちろん、人によって作用の仕方が違うし
私は、すごく早いと言われたが、
でも、こんなにも効果があるのかと、
自分でもびっくりした出来事だった。
それから、偶然彼女のパートナーである
吉田重人さんが、マリオンの日本のオーガナイザーになって
そのご縁で、私がフィンドホーンのフラワーエッセンスに
ついて学ぶまではその後、数年が過ぎるのであったが。
もしかして、その時すでに、
フィンドホーンフラワーエッセンスのディーバに
魔法をかけられたのかもしれない。
明日は、アセンションに関しての私の思いについて話そうかと思います。
今日も、最後までご覧下さいましてありがとうございました。
その当時務めていた会社から歩いて10分ほどのところにある
明治屋のビルの中に、ちょっと変わった雑貨屋さんがあった。
その頃は、アロマオイルも、不思議系に属するような頃で
フラワーエッセンスは、もっともっと怪しげなものであった(ような気がする。)
小さな1壜が結構な値段の、何か不思議な心を癒す液体。
という魔法の薬のようなイメージだった。
そして、効用として書かれているもの
「自分に自信がない。」とか
「心が落ち込むとき。」とか。
どの種類も自分に必要な気がしてきて
全部欲しくなった。
しかし数本試してみたけれど
特に目立った効き目のようなものを感じられず、
いつの間にか使わなくなってしまったのだ。
(恐らく、その当時自分がわかっていなかったし
本当に、どんなエッセンスが必要なのかも
わからなかったのだと思う。)
で、エッセンスは、やはり気の持ちようのものなのだろう、、、。
などと考えてしばらく忘れていた。
その後、ちょっとスピリチュアル系のカラーコーディネートの勉強をし始め
先輩と共に、スピコンといわれる、スピリチュアル系のイベントに出た時
その場所の問題なのか?(両国にある某所。本当に問題はあるそう。)
また、イベント会場内の様々なエネルギー的な問題なのか(それも実はありました。)
自分のブースにある椅子に座ったとたんに
気分が悪くなった。
普段は余り感じないような、
ずーんと頭から重りが乗っかるような不快感。
そのうち、めまいがして、頭を上げられないくらい苦しくなった。
会場を出ると、少し楽になる。
戻って座ると辛くなる。
の繰り返し。
で、隣に座っていた、友人、礼子さんが
「これ、使ってみる?」
といって、シュワーっと
香りの良いスプレーをかけてくれた。
すると、一瞬で(スプレーなので長時間は無理だが。)
パーッと、空気が澄んだようになり、
目の前がクリアになった。
そう、ちょっと説明をすると、
カラーコーディネートのセッションを受けた方ならご存知だと思うが
カラーコーディネータのデモンストレーションでは、
お客さんに、いろんな色のついた布をかけて、その人が
どんなカテゴリに属するのかを見ていく。
特に、この場合は、ニュートラルカラーといって
余り、色味がついていな布をかけるのだが、
この色の区別がつかなくなっていたのだ。
目が見えないというより、何か判断力が全くなくなっていた感じ。
それが、そのスプレーをした時は、
ちゃんとわかる。
これは何か?
と、聞いたところが、
フィンドホーンフラワーエッセンスの
セイクレッド・スペースという
スプレータイプの浄化のエッセンスだと言う。
その日、フィンドホーンフラワーエッセンスの
セッションを行い、エッセンスを作ってくれる
セラピストとして、参加していた彼女に、
早速今の状況が楽になるエッセンスを
作ってもらった。
そして、早速飲んだところ、
本当にすっきりと、良くなったのだった。
もちろん、人によって作用の仕方が違うし
私は、すごく早いと言われたが、
でも、こんなにも効果があるのかと、
自分でもびっくりした出来事だった。
それから、偶然彼女のパートナーである
吉田重人さんが、マリオンの日本のオーガナイザーになって
そのご縁で、私がフィンドホーンのフラワーエッセンスに
ついて学ぶまではその後、数年が過ぎるのであったが。
もしかして、その時すでに、
フィンドホーンフラワーエッセンスのディーバに
魔法をかけられたのかもしれない。
明日は、アセンションに関しての私の思いについて話そうかと思います。
今日も、最後までご覧下さいましてありがとうございました。
2010年07月08日 08:30
フィンドホーンと私
私は、トランスフォーメーションゲームのファシリテータだと同時に
フィンドホーンフラワーエッセンスのプラクティショナーである。
これも不思議なご縁で、つながった。
マリオン・リーというフィンドホーン在住の女性が創始者で、
毎年、日本に来て、セミナーを開いており、
プラクティショナー養成と、個人セッションを行っている。
フィンドホーンは、スコットランドの北にある
小さな村で、その村に流れ着いた男女三人から
フィンドホーンというコミュニティが始まる。
このいきさつはたくさんの本が発売されているので
ご覧になった方も多いと思う。
この3人のうちの1人、アイリーン・キャディさんの本は
日本でも親しまれ、大変人気がある。
簡単に言うと、アイリーン、ピーター・キャディー夫妻と
ドロシー・マクリーンという3人が、やむを得ずに暮らし始めた場所で
精霊と天使と共に、野菜を育てたら、土壌、気候などに関わらず
素晴らしく大きな野菜が取れた。というところから、
フィンドホーンというコミュニティーが始まるのだ。
そのフィンドホーンに咲いた花で
作ったのが、フィンドホーンフラワーエッセンス。
マリオンの日本のオーガナイザーである、
吉田重人さんの奥さま、礼子さんととある、
セミナーでお会いし、(すでに10年以上前。)
それから、ずっとお付き合いが続いている。
そして、マリオンのセミナーを受けたその年に
自力でフィンドホーンに出かけ、英語の体験週間のワークショップ
(フィンドホーンでの生活や考えを学ぶためのファーストステップ
日本語でに旅行を企画している方も。)
に参加し、私をフィンドホーンとつなぐ、
精霊を連れ帰ったのかも知れない。
フィンドホーンへの、へろへろ旅行記は
下記からお読みになれますので、興味がある方は
下記をご覧下さい。
フィンドホーン旅行記のブログ
http://ameblo.jp/aquarious/theme-10005372934.html
すごい、ハプニング続き
英語しゃべれずの私が強引に1人で
行ってきたという、旅行記。
(怖いものしらずなだけ。)
そう、フィンドホーンのフラワーエッセンスも
沖縄ではあまり知られていないので、
ぜひとも知って欲しいのだ。
沖縄には、心強いお友達がいるので、
楽しみである。
フィンドホーンのフラワーエッセンスは、
私にとてもよく効いたので
自分に効いたものは皆さんに紹介したいという事なのだ。
自分が、これはすごいと思った経験については、次回に。
フィンドホーンフラワーエッセンスのプラクティショナーである。
これも不思議なご縁で、つながった。
マリオン・リーというフィンドホーン在住の女性が創始者で、
毎年、日本に来て、セミナーを開いており、
プラクティショナー養成と、個人セッションを行っている。
フィンドホーンは、スコットランドの北にある
小さな村で、その村に流れ着いた男女三人から
フィンドホーンというコミュニティが始まる。
このいきさつはたくさんの本が発売されているので
ご覧になった方も多いと思う。
この3人のうちの1人、アイリーン・キャディさんの本は
日本でも親しまれ、大変人気がある。
簡単に言うと、アイリーン、ピーター・キャディー夫妻と
ドロシー・マクリーンという3人が、やむを得ずに暮らし始めた場所で
精霊と天使と共に、野菜を育てたら、土壌、気候などに関わらず
素晴らしく大きな野菜が取れた。というところから、
フィンドホーンというコミュニティーが始まるのだ。
そのフィンドホーンに咲いた花で
作ったのが、フィンドホーンフラワーエッセンス。
マリオンの日本のオーガナイザーである、
吉田重人さんの奥さま、礼子さんととある、
セミナーでお会いし、(すでに10年以上前。)
それから、ずっとお付き合いが続いている。
そして、マリオンのセミナーを受けたその年に
自力でフィンドホーンに出かけ、英語の体験週間のワークショップ
(フィンドホーンでの生活や考えを学ぶためのファーストステップ
日本語でに旅行を企画している方も。)
に参加し、私をフィンドホーンとつなぐ、
精霊を連れ帰ったのかも知れない。
フィンドホーンへの、へろへろ旅行記は
下記からお読みになれますので、興味がある方は
下記をご覧下さい。
フィンドホーン旅行記のブログ
http://ameblo.jp/aquarious/theme-10005372934.html
すごい、ハプニング続き
英語しゃべれずの私が強引に1人で
行ってきたという、旅行記。
(怖いものしらずなだけ。)
そう、フィンドホーンのフラワーエッセンスも
沖縄ではあまり知られていないので、
ぜひとも知って欲しいのだ。
沖縄には、心強いお友達がいるので、
楽しみである。
フィンドホーンのフラワーエッセンスは、
私にとてもよく効いたので
自分に効いたものは皆さんに紹介したいという事なのだ。
自分が、これはすごいと思った経験については、次回に。
2010年07月07日 07:30
私が沖縄に来たわけ2
そう、もう一つ理由がある。
それは、昨年のこと。
足の小指を骨折し、
近くにしか出かけられない私が
唯一、楽しみにして、参加できたことが
トランスフォーメーションゲームの、練習会だった。
たまたま、同じ沿線にすむ、同期の女性が
とても行動的な方で、マメに練習会を開いていた。
その中には、トランスフォーメーションゲームを
日本に広めようと努力しておられる、素晴らしい女性もいらした。
その方との練習会の時に
「今、沖縄にトランスフォーメーションゲームの
ファシリテーターっていないのよね~。
誰かやってくれないかしら?」
私は冗談というほどではないが
適当に、
「そのうち、沖縄に行くかもしれないので、
行ったら私がやりますよ~。
あと2、3年以上先になると思いますが。」
と応えていた。
実際、沖縄に来るとその時は全く思っていなかった。
いつかは、彼の故郷である沖縄に
行かなくてはいけないのかな?と漠然と思ったから
つい口から出たのであって、
その当時ですら、2、3年とは言った物の
リアリティは全くなく、適当なたわごとくらいに思っていた。
ところで、話しが少し変わるが、
トランスフォーメーションゲームという不思議なゲームは
精霊(ディーバ)や、天使(エンジェル)という目には見えない存在が
大活躍するのだ。
特に、ディーバは、日本人には余り馴染みがないと思う。
精霊という訳し方をする事が多い。
トランスフォーメーションゲームには、
このディーバという存在が、必ずいて
私たちが変容(トランスフォーメーション)するのを助けてくれるのだ。
数年前、
このゲームが作られた
フィンドホーンで行われた日本人のためのセミナーでは、
ファシリテータの資格を取るには
「場にディーバが呼べること。」
というのが必須条件だったそうだ。
逆に、ディーバを呼べない人は
ファシリテータ(ゲームの進行を務める人間。)
になれないというわけだ。
かくゆう私も
トランスフォーメーションゲームを行う日は
朝から、本当に気を使う。
場を清めるために、香を焚き
花を飾り、清らかな音楽をかけ
家全部の掃除をして、お客様と共に
ディーバを迎え入れる準備をする。
毎回、毎回だ。
それは、ある種
清らかなものと過ごすために
行う儀式であり、喜びでもあるのだが。
そうして、始めたゲームは
本当に、不思議な素晴らしい展開を見せ
ディーバが存在している事を、改めて感じさせてくれる。
で、話しを元に戻すと、
その日、トランスフォーメーションゲームを日本に広めるために、
力を尽くしてきた第一人者の彼女が言った事を
その日に来ていたディーバが聞き逃さなかった。
ということなのだろう。
私は、沖縄のトランスフォーメーションゲームに広めたいという
神なのか、ディーバなのか、、に呼ばれたのだと思う。
沖縄に引っ越すことは、大変だったけれど
意外なほど早く進んだ。
現実的な現象は、
長男である彼が、
沖縄に戻ることを決めたから。
そして、一緒に行こうと私が決めたから
であるのだが、恐らく、見えない世界では、
私がトランスフォーメーションゲームを沖縄に広めることを
誰かが、望んでいるのだとそう感じる。
なので、私は使命として、トランスフォーメーションゲームを
行う必要があるのだと感じる。
トランスフォーメーションゲームは、本当に面白い。
自分の心の枠を取り外し、自分の心を自由にして良いことが
腑に落ちる。これは体験してみなくてはわからない感覚だと思う。
そして、もう一つ、私には、沖縄に来たら
やりたいと思っていた事がある。
それは、、また次回に。
それは、昨年のこと。
足の小指を骨折し、
近くにしか出かけられない私が
唯一、楽しみにして、参加できたことが
トランスフォーメーションゲームの、練習会だった。
たまたま、同じ沿線にすむ、同期の女性が
とても行動的な方で、マメに練習会を開いていた。
その中には、トランスフォーメーションゲームを
日本に広めようと努力しておられる、素晴らしい女性もいらした。
その方との練習会の時に
「今、沖縄にトランスフォーメーションゲームの
ファシリテーターっていないのよね~。
誰かやってくれないかしら?」
私は冗談というほどではないが
適当に、
「そのうち、沖縄に行くかもしれないので、
行ったら私がやりますよ~。
あと2、3年以上先になると思いますが。」
と応えていた。
実際、沖縄に来るとその時は全く思っていなかった。
いつかは、彼の故郷である沖縄に
行かなくてはいけないのかな?と漠然と思ったから
つい口から出たのであって、
その当時ですら、2、3年とは言った物の
リアリティは全くなく、適当なたわごとくらいに思っていた。
ところで、話しが少し変わるが、
トランスフォーメーションゲームという不思議なゲームは
精霊(ディーバ)や、天使(エンジェル)という目には見えない存在が
大活躍するのだ。
特に、ディーバは、日本人には余り馴染みがないと思う。
精霊という訳し方をする事が多い。
トランスフォーメーションゲームには、
このディーバという存在が、必ずいて
私たちが変容(トランスフォーメーション)するのを助けてくれるのだ。
数年前、
このゲームが作られた
フィンドホーンで行われた日本人のためのセミナーでは、
ファシリテータの資格を取るには
「場にディーバが呼べること。」
というのが必須条件だったそうだ。
逆に、ディーバを呼べない人は
ファシリテータ(ゲームの進行を務める人間。)
になれないというわけだ。
かくゆう私も
トランスフォーメーションゲームを行う日は
朝から、本当に気を使う。
場を清めるために、香を焚き
花を飾り、清らかな音楽をかけ
家全部の掃除をして、お客様と共に
ディーバを迎え入れる準備をする。
毎回、毎回だ。
それは、ある種
清らかなものと過ごすために
行う儀式であり、喜びでもあるのだが。
そうして、始めたゲームは
本当に、不思議な素晴らしい展開を見せ
ディーバが存在している事を、改めて感じさせてくれる。
で、話しを元に戻すと、
その日、トランスフォーメーションゲームを日本に広めるために、
力を尽くしてきた第一人者の彼女が言った事を
その日に来ていたディーバが聞き逃さなかった。
ということなのだろう。
私は、沖縄のトランスフォーメーションゲームに広めたいという
神なのか、ディーバなのか、、に呼ばれたのだと思う。
沖縄に引っ越すことは、大変だったけれど
意外なほど早く進んだ。
現実的な現象は、
長男である彼が、
沖縄に戻ることを決めたから。
そして、一緒に行こうと私が決めたから
であるのだが、恐らく、見えない世界では、
私がトランスフォーメーションゲームを沖縄に広めることを
誰かが、望んでいるのだとそう感じる。
なので、私は使命として、トランスフォーメーションゲームを
行う必要があるのだと感じる。
トランスフォーメーションゲームは、本当に面白い。
自分の心の枠を取り外し、自分の心を自由にして良いことが
腑に落ちる。これは体験してみなくてはわからない感覚だと思う。
そして、もう一つ、私には、沖縄に来たら
やりたいと思っていた事がある。
それは、、また次回に。
2010年07月06日 07:30
私が沖縄に来たわけ。
私の彼が、沖縄生まれの人で
しかも長男。
私は北東北の生まれで、暑いのは苦手。
毎年、東京でも、急に暑くなると、すぐに
夏に負けて、でれれれれ~と溶けてしまう体質。
なのに、なぜ?沖縄?
最初に、今の相方が、沖縄出身であることに
何も思わなかったし、
彼は長男だからいずれ、沖縄に帰る人なのだろう
と、ぼんやり思っていただけで、
私がどうするか、などはちっとも考えていなかった。
東京で一緒に暮らしているのは、楽しかったし、
将来、どうしていくか、など、いい年のわりにあまり
深く考えたくなかったと言える。
が、沖縄に引っ越してきた。それは、
前回書いた、大切な友の死とも関係がある。
そんな風にして、1昨年は、
空虚なままに、悲しみに沈んで過ごした
というわけではなく、、、むしろ
じっとしていると辛いというのもあり
色々と精力的に活動をしていた。
以前から決めていた、北海道、札幌での
ワークショップや、対面セッションをこなし
秋には、トランスフォーメーションゲームのファシリテータコースを受講する事を決めた。
このコースは、2週間、お山にこもり
ハードなセミナーを受け、そして
宿泊料金なども含めると
かなり、高額なセミナーである。
(その当時で全額、60万弱。)
私がこのセミナーを受講しようとしたのは、
私の友人の死がきっかけだった。
心の闇を軽くし、本当に自分が自分の魂に沿って生きられるように
何か手助けができるツールを探していて、トランスフォーメーションゲームに出会った。
このゲームは、自分が囚われている妨げを取り外し
本来の自分が思っている事を自由にさせてあげるためのワークである。
実際に、大変厳しいセミナーで、
2週間、研修を終えて、資格を取得して家に帰ったら
次の日は、起き上がれなかった。
毎日9時から夜の10時近くまで、レクチャーとゲーム進行とルールを実践勉強を続け
本来はあったはずの1日休みが、スケジュールの都合で半日になり
休みは実質1日も無し。
そりゃ疲れるはず。
しかし、心から真剣に打ち込み、取り組んだ2週間はとても素晴らしい体験だった。
その後研修を重ねて、スキルアップしていこう。
と思っていた、次の年の5月半ば、
今度は、自分の足の小指を骨折した。
骨折とはいえ、実際にはとても小さいもので、
左の足の小指がぽっきり、ではなく
欠けただけで、レントゲンで見ると
ぽろりと、欠けが見える。
しかし、足の小指がぽっきり折れた方が
治りは早いらしく、1ヶ月でくっつくといわれたのに
結局、本当に安心して歩けるようになるまで、
なんと、5ヶ月かかった。
普通に歩けないという事が、いかに精神的に参るか
初めて感じた。
遠くに行くのが怖いのである。
人に踏まれそうになるのが恐ろしい。
人ごみは歩けないのでターミナル駅に行くのが恐ろしいから
本当に近所だけにしか行けない。
しかも、ゆっくり歩いて。
とても気持ちが沈んだ。
毎日退屈し、悲しくなった。
なぜ生きるのか?
考えた。
そして、なぜこんなにも、
何かが、滞っているような
感じになっているのか考えた。
そして、コントロールを手放そうと決めた。
「今、こんな風に、何か
止まっている感じがしていますが、
なんのためでしょうか?
私は今コントロールを手放します。
これから、私がする事が何か教えてください。」
と、宇宙なのか神なのかとにかく
何かに大きく宣言した。
そうすると、答えがすぐにやってきた。
「沖縄に行こう。」
理由などなく、
すぐに、沖縄に行こうと決めた。
で、彼に相談したところ、
色々なことが整い、
あっというまに、沖縄に来ることになった。
決めたのが、10月の終わり頃で
本当に引っ越したのが
2月の末である。
ほぼ4ヶ月程度で、引っ越した。
それにはもう一つ不思議なエピソードがあるので
次はそれを書きますね。
しかも長男。
私は北東北の生まれで、暑いのは苦手。
毎年、東京でも、急に暑くなると、すぐに
夏に負けて、でれれれれ~と溶けてしまう体質。
なのに、なぜ?沖縄?
最初に、今の相方が、沖縄出身であることに
何も思わなかったし、
彼は長男だからいずれ、沖縄に帰る人なのだろう
と、ぼんやり思っていただけで、
私がどうするか、などはちっとも考えていなかった。
東京で一緒に暮らしているのは、楽しかったし、
将来、どうしていくか、など、いい年のわりにあまり
深く考えたくなかったと言える。
が、沖縄に引っ越してきた。それは、
前回書いた、大切な友の死とも関係がある。
そんな風にして、1昨年は、
空虚なままに、悲しみに沈んで過ごした
というわけではなく、、、むしろ
じっとしていると辛いというのもあり
色々と精力的に活動をしていた。
以前から決めていた、北海道、札幌での
ワークショップや、対面セッションをこなし
秋には、トランスフォーメーションゲームのファシリテータコースを受講する事を決めた。
このコースは、2週間、お山にこもり
ハードなセミナーを受け、そして
宿泊料金なども含めると
かなり、高額なセミナーである。
(その当時で全額、60万弱。)
私がこのセミナーを受講しようとしたのは、
私の友人の死がきっかけだった。
心の闇を軽くし、本当に自分が自分の魂に沿って生きられるように
何か手助けができるツールを探していて、トランスフォーメーションゲームに出会った。
このゲームは、自分が囚われている妨げを取り外し
本来の自分が思っている事を自由にさせてあげるためのワークである。
実際に、大変厳しいセミナーで、
2週間、研修を終えて、資格を取得して家に帰ったら
次の日は、起き上がれなかった。
毎日9時から夜の10時近くまで、レクチャーとゲーム進行とルールを実践勉強を続け
本来はあったはずの1日休みが、スケジュールの都合で半日になり
休みは実質1日も無し。
そりゃ疲れるはず。
しかし、心から真剣に打ち込み、取り組んだ2週間はとても素晴らしい体験だった。
その後研修を重ねて、スキルアップしていこう。
と思っていた、次の年の5月半ば、
今度は、自分の足の小指を骨折した。
骨折とはいえ、実際にはとても小さいもので、
左の足の小指がぽっきり、ではなく
欠けただけで、レントゲンで見ると
ぽろりと、欠けが見える。
しかし、足の小指がぽっきり折れた方が
治りは早いらしく、1ヶ月でくっつくといわれたのに
結局、本当に安心して歩けるようになるまで、
なんと、5ヶ月かかった。
普通に歩けないという事が、いかに精神的に参るか
初めて感じた。
遠くに行くのが怖いのである。
人に踏まれそうになるのが恐ろしい。
人ごみは歩けないのでターミナル駅に行くのが恐ろしいから
本当に近所だけにしか行けない。
しかも、ゆっくり歩いて。
とても気持ちが沈んだ。
毎日退屈し、悲しくなった。
なぜ生きるのか?
考えた。
そして、なぜこんなにも、
何かが、滞っているような
感じになっているのか考えた。
そして、コントロールを手放そうと決めた。
「今、こんな風に、何か
止まっている感じがしていますが、
なんのためでしょうか?
私は今コントロールを手放します。
これから、私がする事が何か教えてください。」
と、宇宙なのか神なのかとにかく
何かに大きく宣言した。
そうすると、答えがすぐにやってきた。
「沖縄に行こう。」
理由などなく、
すぐに、沖縄に行こうと決めた。
で、彼に相談したところ、
色々なことが整い、
あっというまに、沖縄に来ることになった。
決めたのが、10月の終わり頃で
本当に引っ越したのが
2月の末である。
ほぼ4ヶ月程度で、引っ越した。
それにはもう一つ不思議なエピソードがあるので
次はそれを書きますね。
2010年07月05日 07:30
私がブログの題名を決めたのは
一昨年、私の唯一の親友といえる、
幼い頃からの友人が
田舎で、自死した。
一番美しい、春の日に。
その時、沖縄で言うところの
私のまぶいが抜けたと思う。
それまで、毎日生きる喜びとは何か
魂とは何か、考え、ブログにつづり
苦しい思いを抱えるお客様にお会いして
自分なりに、それでも「自分」を生きる喜びを
理解し、伝えてきたつもりだった。
でも、、。
大切な友達を助けられなかった。
自分は、いつでも彼女に会えると思っていた。
身勝手に。
もっと、連絡を取っていれば、
もっと、彼女の内面を理解してあげていれば、、、
人は、なぜ生きているのだろう?
もしくは、なぜ死んではいけないのだろう?
何もかも、今まで一所懸命伝えていたことが
むなしい、空虚なものだと思うようになってしまった。
何かあると、「ああ、彼女にもっと早く伝えたかった。」
と思い、たくさん、会っておけばよかった。と後悔し泣いた。
その時から、自分がやっている事が
正しいのか、どうか、わからなくなってしまったのだ。
そうしていても、日々は過ぎていく。
お申し込みがあればお客様に会い、
エッセンスを調合し、、、
ワークショップを開いた。
彼女の死を知ってから、
故郷にある、彼女の自宅を訪ね、
彼女の中にある、深い闇と孤独を知った。
彼女の友人は、彼女が自分の事は語らず、
周りの人の世話ばかりしてきたと口をそろえて言う。
そして、私もいつも彼女は本当に
私のくだらない話をよく聞いてくれていたことを思い出した。
彼女のことを悪く言う人は本当にいない。
亡くなったから、とかそんなことではなく。
でも、彼女の心の中は、
自分の良い人の部分以外を
どうしてきたのか、誰も知らないかもしれない。
彼女とは、小学2年生から、ずっと、
中学も、高校も一緒、部活も一緒。
本当に、長い付き合いだった。
なのに、私は彼女のどの部分までを知っていたのか、、、。
ごめんなさい。
こんな仕事を始めていながら、
もっともちかくて大切にしなくてはいけない
友人のために、使えなかった。
と、悔やんだ。
そして、でも、一番に感じたことは、
人の存在とは、暖かいものだという事。
その身体、声、笑顔、振る舞い。
その人の肉体があるからこそ感じられるすべては、
とても有難く、そして、美しく、大切だ。
どんな人でも。
生きているという事は、
暖かく、温かく、うつくしいのだ。
生きててくれて、ありがとう。
本当に、すべての人にこう言いたい。
あなたという存在がどんなに有難いものか
伝えたい。
という事で、このブログの題名を決めた。
あなたが思っている以上に
あなたが生きてくれていることは
誰かの励みになっていたり、
何かを思うきっかけになっていたり
そして、誰かの喜びになっていたりするのです。
あなたに会えて嬉しい。
生きててくれてありがとう。
そんな思いを日々感じている私なのでした。
で、次はなぜ私が、沖縄に来たのか、
書こうと思います。
幼い頃からの友人が
田舎で、自死した。
一番美しい、春の日に。
その時、沖縄で言うところの
私のまぶいが抜けたと思う。
それまで、毎日生きる喜びとは何か
魂とは何か、考え、ブログにつづり
苦しい思いを抱えるお客様にお会いして
自分なりに、それでも「自分」を生きる喜びを
理解し、伝えてきたつもりだった。
でも、、。
大切な友達を助けられなかった。
自分は、いつでも彼女に会えると思っていた。
身勝手に。
もっと、連絡を取っていれば、
もっと、彼女の内面を理解してあげていれば、、、
人は、なぜ生きているのだろう?
もしくは、なぜ死んではいけないのだろう?
何もかも、今まで一所懸命伝えていたことが
むなしい、空虚なものだと思うようになってしまった。
何かあると、「ああ、彼女にもっと早く伝えたかった。」
と思い、たくさん、会っておけばよかった。と後悔し泣いた。
その時から、自分がやっている事が
正しいのか、どうか、わからなくなってしまったのだ。
そうしていても、日々は過ぎていく。
お申し込みがあればお客様に会い、
エッセンスを調合し、、、
ワークショップを開いた。
彼女の死を知ってから、
故郷にある、彼女の自宅を訪ね、
彼女の中にある、深い闇と孤独を知った。
彼女の友人は、彼女が自分の事は語らず、
周りの人の世話ばかりしてきたと口をそろえて言う。
そして、私もいつも彼女は本当に
私のくだらない話をよく聞いてくれていたことを思い出した。
彼女のことを悪く言う人は本当にいない。
亡くなったから、とかそんなことではなく。
でも、彼女の心の中は、
自分の良い人の部分以外を
どうしてきたのか、誰も知らないかもしれない。
彼女とは、小学2年生から、ずっと、
中学も、高校も一緒、部活も一緒。
本当に、長い付き合いだった。
なのに、私は彼女のどの部分までを知っていたのか、、、。
ごめんなさい。
こんな仕事を始めていながら、
もっともちかくて大切にしなくてはいけない
友人のために、使えなかった。
と、悔やんだ。
そして、でも、一番に感じたことは、
人の存在とは、暖かいものだという事。
その身体、声、笑顔、振る舞い。
その人の肉体があるからこそ感じられるすべては、
とても有難く、そして、美しく、大切だ。
どんな人でも。
生きているという事は、
暖かく、温かく、うつくしいのだ。
生きててくれて、ありがとう。
本当に、すべての人にこう言いたい。
あなたという存在がどんなに有難いものか
伝えたい。
という事で、このブログの題名を決めた。
あなたが思っている以上に
あなたが生きてくれていることは
誰かの励みになっていたり、
何かを思うきっかけになっていたり
そして、誰かの喜びになっていたりするのです。
あなたに会えて嬉しい。
生きててくれてありがとう。
そんな思いを日々感じている私なのでした。
で、次はなぜ私が、沖縄に来たのか、
書こうと思います。
2010年07月04日 14:56
マイスピで書いています。
私は、昨年から、マイスピというWEBマガジンで
スピリチュアルなこと、不思議なことなどの記事を執筆しています。
3月に沖縄に来てからは、
特に、沖縄のパワースポットや不思議なことを多く書かせていただいています。
最新の沖縄パワスポ「ガンガラーの谷」は超オススメ!
日本のスピ・アイランド? 沖縄ではスピリチュアルイベントが目白押し
などや、
「何でも願いが叶う島」浜比嘉島に根付く、琉球・国づくり神話
などなど、拙い文章ではございますが、
話題の、噂のイベント、パワスポなどをご紹介しておりますので
よろしかったら、ぜひ、ご覧下さいね。
本日も最後までご覧くださいましてありがとうございました。
2010年05月26日 11:26
はじめまして、STELLAです。
こんにちは。
てぃーだブログに登録し、初投稿いたしました。
3月のはじめに、沖縄生まれのパートナーと共に
那覇に引っ越してきた、STELLAと申します。
最近は主に、フィンドホーンという、スコットランドの北にある
スピリチュアルな、コミュニティに住む、マリオンという女性が作った
フィンドホーンの花々(一部、日本でも。)のフラワーエッセンスのセラピストや
WEBマガジン、マイスピのスピリチュアルな記事の執筆などを行っております。
ちなみに、てぃーだブログのNO.1
阿部敏郎さんと、山川御夫妻の講演会のレポや
越智啓子さんの講演会のレポなども
アップされておりますので、よろしかったらご覧下さいませね~。
沖縄でのスピリチュアルに関して思うことや
イベント情報などをつづって行きたいと思っておりますので、
どうぞよろしくお願い致しますね。
ちなみに、ほかには、
アメーバブログで、WEBで見つけた
面白い占いや、毎月一回のオリジナル新月占いをアップしている
"AQAUA"&STELLAの当たる占いガイド
楽天ブログでは日々の徒然(主に食べ物関連、、)
心の不思議
というブログを展開中。
また、メルマガ
「幸運を呼ぶ情報源」も発行中です。
こちらは新月と満月のオリジナルブレンドの
フラワーエッセンスのご紹介や、
お友達の開催しているイベントなどについてのお知らせ
スピリチュアルなことに関しての情報などをお知らせしておりますよ。
ご覧下さいまして、本当にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
2010年05月24日 14:59